今月の東洋医学女子
佐藤 麻子
東京都生まれ
京都府京都市在住
2018年 京都仏眼鍼灸理療専門学校 卒業
鍼灸師 あん摩マッサージ指圧師
東洋医学女子の働き方
「女性臨床鍼灸ならまち月燈」奈良県奈良市
週2日業務委託
鍼灸院
週1日業務委託
整形外科
週2日パート勤務
東洋医学女子の物語
History
大学卒業後、都内ドラッグストアに就職するも、1年で退職。
求職中に旅行で訪れた京都で、とある経営者と出会い
「この人の下で一生働きたい!」と思い、京都に引越し就職。しかし5年で会社倒産。
次の仕事先を紹介してもらうが、経営不振により、1年で退職。
その次の紹介先も、経営不振により店舗閉鎖。退職。
環境に左右されず、もっと安定して働きたい!
一生使える資格を取得したい!と思い、鍼灸学校に入学を決意。
Story
東洋医学に興味をもったきっかけは、自分の体調不良でした。
幼少期の頃から、謎の頻脈発作に悩まされていたため、運動らしい運動をせずに思春期を過ごし、
いつも疲れていて、20代の頃でさえ休みの日は1日寝て過ごす、という有様でした。
これではいけないと、色々な健康法を試していく中で出会ったのが、ヨガの先生に紹介してもらった鍼灸院でした。
ご夫婦でされているその鍼灸院の、施術の効果はもちろん、先生のお人柄やあたたかさ、
先生の語る東洋医学の面白さにすっかり魅了され、もっと東洋医学を深く学びたい、手に職をつけたい、
という気持ちから、鍼灸学校への入学を決意しました。
決意はしたものの、とにかく体力が無かったので、そもそも、あはき師が勤まるのか不安でした。
不安は的中し、勤め始めの頃は、仕事が終わるとぐったりして、ベッドで休ませて貰ってから帰ることも。
そんな状態でしたので、最初からフルタイムでは働けず、徐々に体を慣らしつつ、体をつくりつつ
勤め先を増やしていきました。
今でも仕事終わりに、ぐったりすることはありますが、それでも体重も筋肉も増え、体つきもしっかりしてきました。
体力がつくのに伴い、勤め先を増やし、現在は3カ所で働いています。
それぞれに患者さんの年齢層も、求められるものも違うので、それぞれに合った施術を心掛けています。
そこでしか出来ない施術、そこでしか出会えない患者さんによって、自分のスキルが磨かれ、
幅が広がっていると感じています。
Message
「鍼灸師としての一生は、卒業後3年で決まる」
鍼灸学校時代、お世話になっていた先生によく言われていた言葉です。
教職者として、多くの生徒を見てきた先生の言葉だけに重みがあり、それがプレッシャーとなって重くのしかかり
卒業後は不安の中、手さぐりの日々が続きました。
開業した先輩の治療院を見学させてもらいに行ったり、職場の先輩の紹介でベテランの先生のお話を聞きに行ったり。
あちこちの勉強会に参加したり。
気ばかり焦っていました。
大きく変化したのは、福田先生との出会い。
「ならまち月燈」のメンバーに加えて頂いたことでした。
福田先生の「大人の女性の為の保健室をつくりたいんです」とのお言葉に深く共感し、ここなら自分らしく
自分の道を究めていける、と思いました。
その直感は正しく、まだまだ手さぐり中ではあるものの、
自分の中で朧気ながら進むべき道が見えてきた気がする今日この頃です。
施術家としての道は、長く険しい。でも楽しい。
楽しいけど辛い。
卒業後、挫けず進んで来られたのは、導いてくれる先生や先輩、一緒に励ましあえる仲間がいてくれたからです。
一人ではとても無理だったと、心から思います。
頂上に向かう道は人それぞれでも、
そこに向かうまでの経験や失敗、
頂上にいる先達の言葉を共有しながら進めたら、どんなに心強いことでしょう。
東洋医学女子の輪、大きく大きく広がりますように。