野口晴哉先生は天才である。
弟子でもなんでもないのに、ただただ恐れ入って勝手に先生と崇めてしまう。
人間観というのか世界観というのか宇宙観というのか圧倒的過ぎて真似できる気がしない。
整体という言葉は今完全に世の中に浸透していて
整体師という職業は、国家資格でもなく、なんのバックボーンもないのに
按摩マッサージ指圧師より今やずっとメジャーな存在である。
整体という言葉自体は、野口先生以前からあったのかもしれないが
その概念を世に広め、確立したのは間違いなく野口先生の力である。
「体を整える」
なんと要を得て、的を射た、必要最小限の言葉だろうか。
鍼灸あマ指師の仕事も、それに尽きるといっても過言ではない。
野口先生も17歳(!)で、「自然健康保持会」を設立し、整体操法で療術界で中心的な役割を果たされていた。
しかし45歳の時に、治療を捨て「社団法人整体協会」を設立し、整体法に立脚した体育的教育活動に専念されるようになる。
プロフィールにわざわざ治療を捨て…と書かれているほど、それは明確な意思であった。
病気は他人に治してもらうもの、自分の身体の管理を専門家に任せるという風潮を変えようとしていた。
野口晴哉の思想の原点
野口先生は、東京浅草で生まれ、2歳から9歳までを伯父の家で育つ。
その伯父さんが鍼師であり、大勢の書生や患者の中で可愛がられて育っていた。
子供のいなかった伯父夫婦に初めて子供ができ、9歳の野口少年は生家に帰される。
帰ってきた実家での生活は今までと余りにも異なっていた。
4畳半に親子8人が寝る生活、貧乏でクレヨンや遠足にいくお金もないと言われたという。
2歳の時にジフテリアにかかって、声が出なかった野口少年。
実の家族でありながら、そこに居場所を見つけるのは難しかったであろう。
はじめは現実逃避の手段だったかもしれない読書によって新しい世界に出会い
自己暗示や催眠術に興味を持ち、気軽に実験するうちに自分の裡なる力を自覚していくこととなる。
12歳の時に関東大震災が起こり、その時に下痢で苦しむ人に愉氣をするとよくなるという体験
それが評判となって、人が集まってくるが、両親がそれをこころよく思わず奉公に出されてしまう。
そこからは自学自習、あらゆる方法で自己鍛錬をされていただろうが、その頃について書き遺されたことは少ない。
17歳で日暮里に道場を開き、活元運動を誘導し、全生を説く。
17歳と言えば、今でいえば高校二年生である。
天才に早熟の神話はつきものではあるが、それにしてもの感がある。
愉氣 活元、体癖、全生
野口整体のキーワードであるが、どれも一言で説明することは難しい。
天才は天才のロジックで、文章を紡ぐので、
凡才には難しいと感じられることが多々ある。
お釈迦様やイエスキリストが自分自身の言葉ではなく
弟子たちが伝えてきた言葉によって描き出してこられたように
野口先生もその優秀な弟子たちによって、様々な切り口で語られている。
インプットが同じでも、アウトプットが違うということは当然であるが、
弟子のその個性によっても、描かれる世界は全く違う。
東洋医学の読書案内として、筆頭に「整体入門」をご紹介したのは、
その宇宙を自分なりに整理し、そのからだ観を持って自分の治療に生かしたいからである。
臨床4年目の私が一生かけても到達できる世界ではないが、一歩でも近づきたい。
「整体をやっているものは、引き受けて一人でも元気にならない人がいたらやはり技術の失敗なんだ。だから一人一人を命がけで見ている」
そんな覚悟で人と向き合ってきたからこそ、治療者として最高の域に達し、またそれゆえにその技術に依存する人が出てきた。
だからこそ治療を捨て、そのひと自身の裡なる力を自覚させ、自分自身で治ることを教えることに力を注いだ。
整体とは体を整えるだけではない。
今を十全に生きる全生の思想を内包する壮大な宇宙なのである。
コメント